『ひとつだけ』にこだわるガイドが
清水寺に行く前に知っておくと清水寺が少しだけさらに面白くなる情報を
『ひとつだけ』ご紹介いたします。
清水寺の『ひとつだけ』は
『見立ての技』。
見立ての技 説明
※ホームページは意図的に情報を少し多めにしています。さらに時短がいい人はYoutube動画をどうぞ↓
『見立ての技』とは
『手に入るもの』を『手に入らないもの』に見立てて『のろい』を『おまじない』に変える技。
まわりくどい説明に聞こえるでしょうが、いろいろわかってくると、この説明が結局いちばん早くて正確で本質を突いていると思えるので私は採用しています。
説明します。
まず『のろい』について
私も好きなマンガ『呪術廻戦』に出てくるようなスペクタクルな呪いが本当にあるかどうかは私にはわかりませんが
ヒトの『思い込み』による『のろい』は確実にあります。
そしてその正体は千年前の小説『源氏物語』に出てきます。
普通に書かれているので平安人は普通にわかっていたんだと思います。『のろい』の正体を。
『源氏物語』の作者『紫式部』の使った、『のろい』の正体を一発で表現する言葉は
『心の鬼』
これは中国から伝わり今でも使われる言葉
『疑心暗鬼』の平安時代の表現です。
『疑心暗鬼』を直訳すると
『疑う心が暗い鬼を生む。』
意訳すると
『そうではないかと思う心
が
ヒトを不幸に導く「見えないけど存在する何か」を生む』
この『人を不幸に導く『見えないけど存在する何か』』が鬼という言葉の元々の意味です。
現代日本では鬼のイメージは虎柄のパンツをはいた金棒を持った角(つの)が生えてるパンチパーマのキャラクターですが、
元々は意味がもっと広く、見えなくて人を不幸に導くものならなんでもよかったんです。霊も神道の神も細菌やウイルスもぜーんぶ、人を不幸に導くなら鬼と呼んでよかったようです。
韓国ではお化け屋敷のことを鬼家(おにや)と表現するらしいですが、鬼と言えば虎柄パンチパーマの日本人は「はて?鬼家?」となります。が、元々「見えなくて人に悪さする何か」ならなんでもよかったので幽霊やお化けを鬼と呼んでいいんです。どちらかといえば韓国のほうが元々の意味が残っています。だって元々見えないことが前提だった鬼なのに、日本の鬼は見えちゃってますから、、、。中国や韓国の人に「見えとんのかーい!」と言われるかもしれないですね。
で、
そうではないかと思う心が生むものも、悪い方向に導くのなら鬼と呼んでいいんです。これが『のろい』のこと。『のろい』も鬼に含まれます。見えないですからね。
そして
そうではないかと思う心が生むもので、それが良い方向に導くのならこれは鬼ではありません。
『おまじない』です。
長いので、
私達バリアフリーツアー京都では
『のろい』とはヒトを悪い方向に導くフィクション。
『おまじない』とはヒトをいい方向に導くフィクション。
と説明しています。経験上、カンのいいお客様はいきなりこの表現を使っても理解してくれますし、結構便利です。
さて、
『のろい』の原因と『のろい』の正体はわかりました。
でも、呪いにかかった時はどうしたらいいのでしょうか?
その答えが『見立ての技』。『のろい』破壊が『見立ての技』の本質です。
『見立ての技』は、
千年以上前から日本に伝わる技で、源氏物語もこの技の伝授本です。
それは、
『手に入るもの』を『手に入らないもの』に見立てて『のろい』を『おまじない』に変える技。
『のろい』と『おまじない』は表裏一体みたいなもの。わかりにくいです。
ちなみに『呪い(のろい)』と『お呪い(おまじない)』は同じ漢字。この漢字の設定もよくできています。
よかれと思って信じた最初は『おまじない』だったはずの何かがいつの間にか『のろい』になったりします。
そんな時に使うのが『見立ての技』。
たとえば、
千年前の日本、悲しい響きですが、この世界で幸せになることをあきらめる人が続出した時代でした。
状況を考えるとわからなくもないです。
科学も医学も法律もまだまだ無力に等しく現代のように助けてはくれません。そんな中、自然災害や疫病や人災が容赦なかった時代です。
現代にも生きる苦しみはもちろんありますが、千年前はいちにちいちにち生き抜いて寿命を全うすること自体が難しい時代でした。
仏教はそんな日本人の心を救う役割を果たしていました。
仏教の世界観自体は『おまじない』です。人をいい方向に導くために設定されました。
でも、この世をあきらめた日本人の中には、ブラタモリでも放送してましたが、和歌山県から仏教の世界観の中ではどこかにあるとされる浄土を目指して海に向かって旅立ちそのせいで命を落とす人がたくさんいたそうです。
こうなったらもう『のろい』です。おまじないのはずの浄土がのろいになってしまいました。
そんな時代に作られ、長い時間をかけて成長し続けたのが清水寺です。
実は、清水寺自体が『見立ての技』なのです。
続きはこのあとすぐ。
さて、
『清水寺が建てられた時代背景』と『見立ての技』はお持ちになりましたか?
では、よかったら清水寺にご一緒しませんか?
清水寺へのアクセス
変わりアクセス
もし歩いて行かれるなら個人的に、六道の辻あたりから松原通りに沿ってまっすぐ一本道でのアクセスをおススメします。
理由はのちほど。
清水寺
清水寺では『見立ての技』が使われています。
清水寺本堂には観音菩薩がまつられていますが、
仏教の世界観では観音菩薩がいる浄土はこんな場所。
切り立った崖があり、東から滝が流れる緑豊かな場所だそうです。その崖の上に観音菩薩がいるという設定。
これが観音菩薩の浄土。
一方、清水寺のある場所を俯瞰で見ると、
こんな感じ
似てませんか?
清水寺の正体は『観音菩薩の浄土『補陀落(ふだらく)』のそっくりさん』でした。
最初に『見立ての技』を使ったのは『延鎮(えんちん)』というお坊さん。この場所を浄土に見立てて西暦778年に崖の上に観音を祀りました。
そして798年に日本歴史のビッグネーム、最初の征夷大将軍『坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)』が延鎮に感銘を受け本堂を建立。
そして1200年の時を経て清水寺は延鎮の『見立ての技』に乗っかってここを浄土に見立てたたくさんの人の力で少しずつ成長し現在の姿に至ります。
ちなみに世界的に珍しい建築として有名な『清水の舞台』は延鎮や田村麻呂の時代にはなく、いつ誰が建てたのか正確にはわからないそうです。
ガイドの駆け出しの頃、ある修学旅行生に聞かれました。
修学旅行生「なんでこんな険しい崖をまたいで舞台を作ったのかな?崖の上か下の平なとこに作ったほうが簡単で楽なんじゃじゃないの?」
私「同感。わざわざしんどいことしてるよね。」
修学旅行生「謎~」
私「謎ですよね~」
あの修学旅行生、ごめんなさい!私はもの知らぬ役立たずガイドでした。せっかくいい質問してくれたのに!ホントごめん!
遅すぎる答えをいまさらながら。
観音菩薩は崖っぷちからこの世界を見ている設定なので、その観音菩薩を楽しませる芸能を奉納する舞台は崖をまたぐ必要があったんです。ここじゃなきゃダメだったんです。わざわざしんどいことをするのには意味がありました。
見立ての技と清水寺の関係を知ったあとにも、別のお客様にこんなことを言われました。
客「でも本物じゃないんでしょう。似せて作っただけでしょう。なんかむなしくないですか?」
と。
わかります。私も手に入るなら本物を追い求めたほうがいいと思ってます。
でもこの世界は手にはいらないものだらけなので、だから1000年以上前からこの国の人は『見立ての技』を使い続けて来たんだと思います。
おそらくお客様は『そっくりさん』を妥協や逃げのように感じたんですよね。
でも
『見立ての技』は妥協や逃げとは少し違うんですよね。
あの時は、この『少し違う』を上手く説明できませんでしたが
今ならできるかも。
今さら感がありますが、リベンジさせてください!
たとえ話。
大昔、ヒトは鳥の方法で空を飛ぼうとしました。
が、
無理でした。
でも今は鳥とは少し違けどそっくりな『飛行機』で空を飛べています。
これです。これがこれが『見立ての技』です。
『実現不可能』から『実現可能』な夢への変換です。
『実現不可能な夢』を追い求め続けることは『呪い』になることがあります。
音楽の授業で習ったイカロスの歌。イカロスは命を落とします。イカロスの他にもたくさん。
ヒトの鳥の方法での飛行という夢は『不幸に導くフィクション』でした。
でもイカロスたちの失敗から学んだ人たちが鳥のそっくりさん『飛行機』にたどり着きます。
『のろい』から『おまじない』への変換
『見立ての技』はけして夢にむかってがんばっている人を否定するものではありません。
むしろ逆
人によっては夢到達への最後の切り札になりえる
と
私は思います。
あの時のお客様
こんな説明でどうですか?
それに、そっくりさんは時々本物を超えることがあるみたいです。
飛行機は速さ、移動距離、耐久性でホンモノである鳥をこえてますし、
1,000年前の小説『源氏物語』でいえば、主人公の『光源氏』が母の面影を追い求めたどり着いたそっくりさん『若紫(わかむらさき)』は光源氏にとって母を超えてかけがえのない存在になりました。
まあまあ最近の映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』では綾波のそっくりさんは本物を超えて自分の居場所を見つけました。
浄土のそっくりさん清水寺はどうなんでしょうかねぇ。
時々私は思います。清水寺には世界中から人が集まり、いつも大混雑で、時には暑かったり寒かったりするのにもかかわらず、うんざりしてないかと心配するガイドをよそにみなさん笑顔で楽しんでくれてます。
これって案外浄土超えてるんじゃないですかねぇ?
本物の浄土を体験したことはありませんから比較しようがありませんけどね、、、。
与謝野晶子の詩にこんなのがあります。
与謝野晶子が桜の季節の月夜に清水寺に行ったとき、
月あかりのせいなのか、
笑顔だったからなのか、
キラキラしてたからなのか、
逢う人みんな美しかったそうです。
これって案外浄土超えてるんじゃないですかね。
わからないですけどね。
最後に松原通り一本道のアクセスをおススメした理由。
松原通りが『清水寺浄土見立てプロジェクト』の一部だからです。
昔あるおばあちゃんに「鴨川って三途の川なんよ」と言われ、その時は何のことだかわかりませんでしたが、松原通りが見立ての技の一部だと考えるとしっくりきます。
松原通りは平安時代の清水寺への参拝ルートでした。
松原橋で三途の川である鴨川を渡り
この世とあの世の境目の『六道の辻』を目指します。
このあたりには『幽霊子育て飴』が売ってたり、『六道珍皇寺』には『閻魔大王』がいたり、冥土感がましてきます。
あの世をどんどん進むと『どんつき』(関西弁。意味は行き止まり)に観音の浄土である『清水寺』にたどりつきます。
子供の時に聞いた冥土のストーリーそっくり。絶対見立ててますよね。これって。
そう考えると、小野篁(おののたかむら)の伝説も、幽霊子育て飴の怪談も、清水寺浄土見立てプロジェクトの一部なんじゃないのって思ってしまいます。
※注意事項
1.松原橋から清水寺まではまあまあしんどい上り坂が長く続きますので体力に自信のない方にはおすすめしません。体力があまりなかった清少納言は清水寺を参拝したとき「アタシここムリ!」みたいなこと言っています。
体力に自信のない方は車で茶碗坂のどんつきのゲートからの参拝をおすすめします。インターフォンで事情を話すと車いすの方などはさらに境内の中まで車で入れてもらえます。
茶碗坂ゲートアクセス
茶碗坂ゲートはグーグルマップに登録されてないので井上数珠店さんなどを目的地にするとよいと思います。井上数珠店さんを通り過ぎてつきあたりがゲートです。ご参考youtube
2.松原通りは一部、逆一方通行になるので車ではまっすぐは行けません。