仏教知識の壁時短破壊ツアー

仏教の知識がなくても京都観光は楽しめます。

知っているとやはり観光がもう一段階面白いものになるのはたしかです。

京都の文化

というよりも日本文化が

早くから仏教を取り込んで長くともに発展してきたので

観光で日本文化を楽しむのに役に立つからです。

がが

2500年かけてたくさんの人が残してきた仏教の情報量は膨大です。本当の仏教を理解しようとするならこれらすべての情報を整理して理解する作業が必要になりますが観光を楽しみにいらっしゃったお客様に時短で、おそらく苦痛をともなうこの作業をやってもらうのは不可能でナンセンスですし、仏教を大切にし心の拠り所にしてその研究に一生を捧げている人たちにも失礼です。

なので

最初にお伝えしておきますが

私達バリアフリーツアー京都が時短でお伝えする仏教は仏教のほんのわずかなエッセンスでしかないです

単純化、切り取り、デフォルメであり

言ってしまえばフィクションです

でも

役に立つフィクションだと信じています。

観光を楽しむのにも

この世界で生活するのにも

そして

私達バリアフリーツアー京都の最大のテーマ『呪い破壊(バリアフリー)』にも・・・

目次

もちもの(ブッダ)

このツアーの出発時点でのもちものはひとつだけ

仏教を開いた『ブッダ』です

あとは現地調達します。

ブッダをもってない人は今持ちましょう。

五分ください。

ブッダ

ブッダの特殊能力は

『とんでもない集中力』です。

2500年前

インドのブッダは

集中して瞑想することで

『悟り』に至りました。

『悟り』と言っても

一般的に使われる日本語の『悟り』とは意味が少しちがうので

翻訳します。

ブッダは

集中して瞑想することで

この世界の本当のしくみを理解しました。

ここまでが第一段階。

この世界の本当のしくみが分かると

自分を苦しめている本当の原因がわかりました。

それを煩悩と名付けます。

ここから第二段階

ブッダは

また集中して瞑想することにより

自分を不幸に導く『本能や本能レベルでしみついたもの』(煩悩)

をすべて書き換えました。

この二段階の作業を経て到達した状態を仏教では『悟り』と呼びます。

それからブッダは

苦しんでいるすべての人の心を救おうと

『この世界の本当のしくみ

煩悩という呪いを書き換えるテクニック』を

人々に伝え始めます。

仏教のはじまりです

さて

ブッダはおもちになりましたでしょうか?

前置きが長いのは苦手なお客様もいらっしゃるでしょう

実は私も苦手です

早速ツアーを始めちゃいましょう

あ!そうそうお客様

せっかくおもちになるのでしたら

ブッダはこのように右手にもってくださいね

仏教の設定では右手がブッダ 左手があなたです。

仏教では『ここ一番』の時にこのように手を合わせますが

これはあなたとブッダの一体化を意味します

ブッダは一言で言えば、『こころが無敵の人』です。

『ココロムテキ』なブッダがいつもあなたの右手にいると考えると

それだけでも

なんとなく心強くなりませんか?

ならないですか、、、

では仏教とは関係なく

そんなお客様のために損得勘定の話

私はガイドのくせに昔から人前で何かを発表するのがものすごく苦手で緊張してしまうタイプなんですが(あかんやん)

あるお坊さんから教えてもらってガイディングの前に手を合わせて指先の温度変化を意識するだけで

すこし緊張がましになるのを実感しています。

調べてみると

手を合わせることは緊張をほぐし集中力を高める効果があることは科学的な裏付けもあるそうです。

ここ一番で手を合わせる行為。

知っていて損はないですよ。どうですか〜お客様。

この簡単な技を教えてもらったちょうど同時期に偶然

演説が上手いことでも有名だったアメリカの大統領オバマさんが演説の前に手を合わせて心を落ち着けているようなシーンをホントに偶然目にしました。私は思わず叫びました。

「オバマもやってるやん!」

では

仏教知識時短破壊ツアーを始めます

ツアー一発目の行程は東林院さんです。

東林院

訪れるのは六月中旬の東林院さん

※東林院さんは通常非公開ですが沙羅双樹の花が咲く頃に公開されます。

公開情報が欲しい人はボタンを押してください。

アクセス

ちなみに

先ほどの緊張をほぐす技を教えてくれたのは東林院さんの住職さんです

それがツアー一発目の行程に東林院さんを選んだ理由ではないです

東林院さんはブッダに思いを馳せるのにピッタリの場所だからです。

六月中旬の東林院には沙羅双樹の花に見立てたナツツバキが咲きます。

沙羅双樹の花は仏教が大切にしている花のひとつ

ブッダが沙羅双樹の下で亡くなったからです。

亡くなった原因は『おなかいた(腹痛)』だと言われています。

なんとも人間ぽいでしょう

これが仏教の特徴

仏教では創始者ブッダを神や超人やスーパースターではなく

あくまでひとりの人間として伝えます。

でも

そのあくまでひとりの人間に『集中して瞑想することによってこの世界の本当のしくみを理解』することは可能なんでしょうか?

仏教徒のかたはもちろんブッダは理解したと信じてらっしゃいますし

うたぐり深く仏教徒ではない私もいろいろ知ったあとの今となってはそう信じています

てゆーか

そう信じたほうがいろいろつじつまが合うし合理的にさえ思えるからです。無理に信じないほうが非合理的にさえ思えます。

私は理系出身。常に無意識に合理的根拠を求めます。そして京都でガイドしてるくせに京都の有名人安倍晴明の伝説があまりすきではありません。伝説がファンタジーすぎるからです。映画やドラマや漫画ばかり見て育ちましたがフィクションのストーリーでもファンタジーすぎる設定は興ざめしてしまうタイプです。

そんな私にブッダの伝説を信じさせた根拠のひとつは

『100年前の天才物理学者アインシュタイン』の存在。

ブッダとアインシュタインは共通点が多いです。

代表的なのは『過集中』

ブッダは旅の途中、ある家族の家に一晩泊めてもらいますが、集中して瞑想していて朝気が付くとその家は燃えて一家は全滅していてびっくり。

どうやら雷が落ちたそうです。

このようにひとつのことに集中したら命の危険にさらされても気がつかないような集中力の持ち主を『過集中』というそうです。アインシュタインも『過集中』だったそう。

ちなみに昭和の天才バッター長嶋茂雄さんの伝説のエピソードも『息子の一茂さんを一緒に球場に連れて行ったのに考え事をしていて球場に忘れて帰った』などなど天才の特徴『過集中』っぽいです。

ブッダとアインシュタイン

二人が発表した仮説は当時の常識とは違うものでしたが

のちに科学が追いついてきて定説になったことなどもふたりの共通点です。

物理学者にもいろんなタイプがありますが

ブッダと共通点の多いアインシュタインは

たった一人で脳内実験を繰り返して真理にたどり着けるタイプだったのは周知の事実です。

ブッダも同じタイプだと仮定したほうがもはやしっくりきませんか。

ブッダは集中して瞑想することでこの世の本当のしくみを発見したと言われ

アインシュタインは脳内実験をくりかえして真理にたどりついたと言われますが

これ

言葉の表現が違うだけでやったことは同じじゃないですかね~。

アインシュタインは

「これからの未来、仏教だけが科学と共存できる」と言いましたが

もしかしたら

アインシュタインはブッダが自分と同じタイプの物理学者だとわかっていたのかもしれないですね。

さて

ここ東林院の沙羅双樹は

朝咲いて

夕方散ります

この早いサイクルがわかりやすいので

ブッダが発見した真理

『諸行無常』の説明をするのによくつかわれます

『諸行無常』とは一言でいうと

『永遠なんてない』

です。

朝咲いて夕方散る東林院さんの沙羅双樹のうつろいの早さは

わかりやすく

すべてがうつろうこの世界のしくみを教えてくれているというわけです。

でも

たとえ現代科学がそれを証明していても

永遠なんてない

って言葉を聞いて

『そんなさみしいこと言わないでよ』

『野暮だなぁ』

って

思ったお客様

一定数いますよね。

そうなんです。

ブッダの言葉はいつも

人によっては野暮に聞こえる言葉ばかりです

たとえばブッダは

『この世は苦で満ちている』(一切皆苦)

とも言いましたが

これはたとえば

未来への夢であふれている子どもたちに向けて言ったとしたら野暮な言葉です。

そして

永遠なんてない(諸行無常)

たとえば

今まさに結婚式を挙げて永遠の愛を誓ったカップルに向けて言ったとしたら野暮な言葉です

ブッダの言葉は

誰に向かって言ってるのか

が分かると

しっくり来ます

じつは

ブッダの仏教はしあわせな人に向けてのものではありません。

その時代の主流の世界観や主義や宗教の中で生きづらさを感じている人に向けられています

最初からそうでした

ブッダは最初から

仏教をその国や世界のメインストリームの考え方にしようとしたのではなく

その国のメインストリームの考え方で生きづらい人のための受け皿としての位置づけで立ち上げました

だから

その国のメインストリームの考え方でしあわせに生きられる人には

仏教はべつに必要なくて、野暮に聞こえるというメカニズムです。

具体的に言うと

ブッダの時代

ブラフマンという絶対的で永遠なる存在がいて

その存在が世界を司っているという世界観を人々は本気で信じてました。

そのブラフマンの支配下のもと

生まれながらにして尊い生まれの人と

いやしい生まれの人が決まっていて

これは永遠に絶対的に変わらない

という設定になってました

なぜ変わらないかというと

この世界を司っているブラフマンが永遠で絶対だからです

おそらくブッダ自身もこの世界観をすりこまれて信じて生まれ育ったと思いますが

この世界のホントのしくみを理解したブッダは

すりこまれた間違った世界観で苦しんでいる人のために

すりこまれた間違った世界観の大元である

絶対的で永遠なる存在のブラフマンを否定します

『永遠なんてない。ブラフマンなんていない』って

『ブラフマンがいないということはブラフマンが司る人間の階級なんてものも存在しない』

『ということは生まれながらにしていやしい身分なんてものは存在しない』

『あなたはけしていやしい身分なんかじゃない』

これがブッダの煩悩破壊

真理を発見し

しみついた煩悩を書き換えます。

煩悩には

ヒトを不幸に導く本能のほかに

本能レベルでしみついた世界観やフィクション、つまり

『人を不幸に導く思い込み』もふくまれます。

私たちバリアフリーツアー京都風にいえば

これは呪いのことです。

仏教の正体は呪い破壊の技を伝えるものでした

逆に

『人を幸福に導く思い込み』をおまじないと

呼びますが、

ブッダはブラフマンの存在がおまじないになってる人には

自分の考えやテクニックを押しつけなかった

ここが

私がブッダを人として信用できるところ

そして

センスがいいと言うかものすごくかしこいですよね〜

ブッダは自分の世界観が正しいと分かっていたはず

でも

正しいからといって

フィクションの世界観を信じてうまく行っているしあわせな人に真理を押しつける野暮はしなかったわけです

フィクションを信じてしあわせになれる人もいますからね

それに

ブッダの目的は苦しんでいる人に仏教を届けることですから

サブストリームでも社会の受け皿として機能して生き残りさえすれば目的達成できます。

それどころか

メインストリームとウインウインになっておたがいが必要とする関係を作ろうとするなんて

すごい。

そのブッダのセンスのよさで

仏教は生き残り

2500年後の日本でも

資本主義の世界観で生きづらさを抱えてる人の受け皿になりえています。

と同時に

私達ガイドを食べさせてくれる観光資源でもありますけどね♪

ここからは日本の仏教の話に移りますが、

日本の仏教って

特殊なんですよね

ハッキリ言ってヘンです

でもこれがなんと

実は

ブッダの仏教を超えるポテンシャルを秘めてるんです

仏教、日本へ

次の目的地は東寺ですが

道中、仏教が日本に伝わった頃の話を・・・

西暦538年

ブッダの時代から約千年後

仏教は朝鮮半島から日本に伝わります

そして厩戸皇子(うまやどのおうじ)が593年に摂政(せっしょう)になって仏教中心の国造りを始めます

国の主流の考えかたとして採用したわけです

ブッダの仏教はサブストリームであることを前提としていたので

最初からこの時点でブッダの仏教とはちょっと違うものになっちゃってたのかもしれません。

厩戸皇子の意図はわかります。

厩戸皇子の政治のキャッチフレーズは「和を以て貴しとなす」

翻訳すると

「平和がいちばん!」

仏教の戒律にはメインストリームの主義や世界観や宗教とケンカせず上手くやる知恵が盛り込まれていたので

「和を以て貴しとなす」の方針にとても合うものでしたからね

それに

仏教は物理学者のさきがけだったブッダが伝えた当時の最先端科学だったので発展途上の日本にとっては

想像を超える魔法のような力を感じたのでしょう

それにそれに

日本より先進国だった中国や朝鮮半島で仏教は盛んだったので世界のスタンダードにのっかる意図も厩戸皇子にはあったと思われます

そんな厩戸皇子の意図とはかけはなれ、厩戸皇子亡き後、日本仏教は一度迷走します。

仏教中心の国造りを目指す日本で仏教のお坊さんの地位は高く尊敬もされる立場なので政治に口出すお坊さんが続出し政治が混乱しちゃいました

そして西暦794年

桓武天皇は政治に口出す権力欲まみれのお坊さんを奈良に置き去りにして

日本の都を京都に移しました。

さらに桓武天皇は

真剣に仏教に取り組んでいる二人のまじめなお坊さんを京都で取り立てます

最澄と空海です

空海と最澄

空海と最澄はよく比べられて

『空海は天才で最澄は秀才』とか

『空海は天才で最澄は努力の人』とか

ひどいのになると

『空海は天才で最澄は凡才』

『空海は悟ったが最澄は悟れなかった』

みたいな

空海に比べて最澄は一段低いみたいな言われ方をします。

ガイドの学校で歴史を初めて本気で勉強し始めた私は最初

「なんで?最澄だって絶対すごいやろ?最澄に失礼やんか」

と疑問に思い

反骨精神から

ガイドになってからも二人は全く同格として扱い

お客様にもそう説明していましたが

今となっては

ガイドとして、やっぱり最澄を一段低く評価したほうがのちのち全体の流れの説明につなげる場合は便利だな

と思ってきてしまっています。

なので

このサイトでも

『空海は悟りに至り、悟りに至った者の立場でやれることをした人』

『最澄は悟りに至れなかったが、悟りに至れなかった者の立場でやれることをした人』

と少々長いですがこう表現しています。

この説明が後の展開に繋がります

いきなりは無理ですので

順番にいかせてください

空海の東寺から行きましょう

今ちょっとだけさわりを言うなら

ガイド学校時代の私の直感の通り最澄もやっぱりすごかったです!

東寺

竜安寺石庭 仏教の悟りの解釈の一つの自分目線から全体目線。石庭は俯瞰による全体目線を誘導する心の離陸用滑走路です。

悟り(現代版見立ての技)

お伝えしたとおり

私のような凡人にとって

ブッダの悟りでいちばん難しい部分は

『集中して瞑想することによりこの世界の本当のしくみを理解』

する第一段階の行程ですが

ブッダの時代から2500年後の現代

源信の時代から1100年

法然、親鸞の時代から900年

人を取り巻く環境は大きく変わりました

特にここ100年

科学の進歩はものすごいです

アインシュタインは『これからの未来、仏教だけがが』

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