
六月中旬
京都の妙心寺(みょうしんじ)の塔頭(たっちゅう)、東林院(とうりんいん)の沙羅双樹(さらそうじゅ)が見頃を迎えます。
※塔頭(たっちゅう)とは大きいお寺に属する小さなお寺のことです。
見頃と言っても、沙羅双樹は朝咲いて夕方散る一日花なので、
朝

夕方

いつがピークなのか判断が難しいです
枝に咲いている花はいつもこれくらいまばら。

なので

大地にこれくらい散ってまだ枝にも咲いているくらいが見頃のピークと呼べるのかもしれないですね

いつものやつ一発やっときます。
『垣間見の技』発動


さて
ここから『起承転結』の転です。


冒頭から沙羅双樹、沙羅双樹と呼んでましたが
実は
東林院さんに咲いているのはナツツバキです。
仏教の創始者ブッダがこの世とお別れする時に横たわった場所に咲いていたインドのホントの沙羅双樹とは全く違うものらしいです。
でも

「なーんだ違うんじゃん!あ~あ」と残念がるのは少し違います。
ここはガイドとしては
東林院さんが用意してくれた『見立ての技』に乗っかることをお客様におススメするところ。
『見立ての技』とは
『手に入るものを手に入らないものに見立てて呪いをお呪い(おまじない)に変える技』です。
『もののあわれ』『垣間見』と同じく千年以上前から日本人が大切にしてきた技。
本当の沙羅双樹は日本の気候では育たないそうです。
そこで日本人はナツツバキを沙羅双樹に見立てました。
※ちなみにインドの沙羅の花はこんな感じ

東林院さんの『見立て』はここを、ブッダとブッダの教え『諸行無常』に思いを馳せやすい場所にしてくれました。
よかったら
東林院さんに乗っかって
「あ~あ」を「うふふ」に変えてみませんか♪
※『諸行無常』とは
『諸行無常』はブッダが発見したこの世界の真理です。
『この世界のすべては流れている』と翻訳していいでしょう。一定ではないということ。
普通の人でも海や川や雲が循環して流れていることは感覚でわかるかもしれません。が、石や岩や大陸までが地球の表面から海溝に入って溶岩となりまた噴火や地震でまた地表に出てきて循環して流れているという真理はわかりにくいです。実際、このことをプレートテクトニクスと呼び科学が追いついたのはブッダの生きた時代から2400年後のことでした。ブッダの特殊能力は集中して瞑想することです。おそらく脳内で実験をくりかえして真理にたどり着けるアインシュタイン級の天才物理学者だったと考えられます。アインシュタインも「これからの未来、科学と共生できるのは仏教だけだ」と言いました。アインシュタインはブッダが自分と共通するタイプの物理学者脳の持ち主だとわかったのかもしれないですね。
そんな『諸行無常』をわかりやすく教えてくれるのが東林院の沙羅の花です。なんせ朝咲いて夕方にはもうボトッと散っちゃいますからね。諸行無常を時短で可視化してくれる花というわけです。
では
あなたの観光がいいものになりますように



※全く余談です。時間のない人は飛ばしちゃってください。
『春山満(はるやまみつる)さんと見立ての技』
「ないものねだりしてふてくされるな。今自分の中にあるものをフル活用したら必ず生き残れる。」
劣等感を抱え、ふてくされ気味に生きていた若かりし私に、
カーラジオから聞こえて来た、
進行性筋ジストロフィーを抱える起業家『春山満』さんからのメッセージ。
見事な呪い破壊、おまじないの言葉でした。
ガイドとなってこれが『見立ての技』の一種だと気付くのはまだまだ先の事となります。
おまじないもフィクションです。
春山さんの言葉もフィクションです。理性的に考えると『必ず』とは言い切れない。
でも
呪いも所詮フィクションです。
同じフィクションなら『あ~あ』じゃなく『うふふ』になる可能性のある春山さんのほうを信じ切ってみた若かりし私。
ふりかえると
私にとって春山さんのフィクションは現実でした。
あいかわらずのアホですが
どーにか生き残ってますよ~春山さん
※東林院さんで花と風を垣間見する動画
三分です。
東林院さんは通常非公開です。
が
沙羅双樹の花が見頃の時『沙羅の花を愛でる会』が開かれます。その期間が見頃ということです。開花情報のボタンを押すとその年の『沙羅の花を愛でる会』の情報につながります。
アクセス
今回使った技
『垣間見』
六分です。
『見立て』
五分です。