導入
実は圓通寺は全く予備知識無しで行って春夏秋冬楽しめるスポットです。
初めての人にもとんでもなくおススメ。
私達バリアフリーツアー京都はこういうスポットを『脳が勝手に喜ぶスポット』と呼んでいるのですが
こういうスポットではガイドの説明がかえって邪魔になることがあります。
特に私のようなあまり上手くないガイドは、
『楽しんでいるお客様の邪魔になる可能性のある下手な説明は一切こちらからはせず質問があった時だけていねいに答える』
という無難な作戦に出る時もあります。
が、
今回はあえてリスクをおかします。
理由は、
今回の『ひとつだけの情報』が
京都のバリアを短時間で破壊する知識の提供を最重要視する私達『バリアフリーツアー京都』の思い入れの強い情報であるということ
と
ネット上のガイディングなので、もし邪魔になるガイディングをしてしまったとしてもその後のお客様との関係が気まずくならないからいいじゃん!ということ
「やるならいましかねえ♪」
「今でしょ!」
と
少しなつかしい歌と
少しなつかしい人気予備校講師のキメ台詞
が浮かんでしまった気恥ずかしさとともに
導入はこのへんで。
圓通寺での『ひとつだけ』の情報は
『日本の垣間見文化』です。
では、
『ひとつだけ』にこだわるガイドが圓通寺に行く前に知っておくと圓通寺観光が少しだけさらに面白くなる情報を『ひとつだけ』ご紹介いたします。
※ホームページの情報量は他メディアとの区別化をはかるため多めです。時短がいい方は動画をどうぞ↓
『垣間見文化』
日本には
目には見えませんがどうやら『枠で切り取る文化』が流れています。
『垣間見文化』と呼ばれます。
語源は「垣根の間から見る」
垣根とは、
こういうものです。
千年前の日本の貴族の家のまわりにたてられました。
この垣根の間から何かがチラッと見えることが今でも使われる広い意味での『垣間見える』ですが、
日本の千年前の貴族の生活に詳しい人には限定された意味が思い浮かびます。
千年前の貴族の女性は基本家から出ませんでした。
家の中でずっと座って教養を高めたり習い事をしていました。
なぜかというと、
千年前は女性も男性もお家(おいえ)の繁栄が一番大切。
だから女性は天皇や有力貴族に取り入ってお家を繁栄させるため、当時の男性が好んだ教養が高くておしとやかな女性になる努力をしてたんです。いつしかそれは平安ルール化します。
平安女性ルール、
基本家にいる。
基本座っている。
大声を出さない。
走らない。
人前で感情をあらわにしてはいけない。
家族以外の特に男性に顔を見せてはいけない。
などがありました。
そんな、女性が家から出てこない状況の中、男女が出会う方法のひとつが『垣間見』だったんです。
千年前に『紫式部』によって書かれ、当時の生活習慣を知る重要な資料にもなっている小説『源氏物語』にも垣間見のシーンがしょちゅう出てきます。『垣間見』は常に出会いを求めている源氏物語の主人公『光源氏(ひかるげんじ)』の得意技でもありました。
『垣間見』は平安ルールをギリギリ破らない社交だったと言えます。
源氏物語のキャラたちと説明します。
現代でも伝統的な日本建築には
居住部分から庭に張り出す通路兼こしかけの
『縁側(えんがわ)』
があります。
ルーツは千年前の平安時代です。
ちなみに女性は源氏物語のヒロイン『若紫(わかむらさき)』さんです。光源氏に垣間見された時、髪型はおかっぱで『山吹重ね』と言われる色の組み合わせの着物を着ていました。
目線を光源氏側に変換。
二人の出会いの場面は
『北山の垣間見』と呼ばれます。
垣間見目線にします。
若紫さんは少々不幸な身の上でこの時北山のお寺に預けられていました。
若紫さんが縁側に出てくるのを待ちましょう。
縁側は家の縁(ふち)だと言えます。『基本家の中にいる』という平安ルールをギリギリ破ってません。
時期は初夏
垣根のまわりには山吹に咲いてもらいましょう。
あ、そろそろ若紫さんが出てきますよ!
垣間見用意!
これが『北山の垣間見』と呼ばれる場面
若紫さんは
『家の中にいる』というルールは破ってないものの、そのほかの平安ルールはすべて破って泣きながら走って初登場します。
これは紫式部の、読者にインパクトを与える作戦です。
現代のドラマでも女性主人公が泣きながら走って登場したらまあまあインパクトありますが、
平安時代に平安ルールをすべて破って登場したら平安読者は度肝を抜かれたでしょうねえ。紫式部の思惑通り、物語に引き込まれたことでしょう。
それはそうとこれは普通の『垣間見』ではありません。説明しにくいので若紫さんには座ってもらいましょう。
『垣間見の技』を説明します。
『前景』
『中景』
『後景』
がそろってるのがお分かりになりますか?
前景が垣根
中景が若紫さん
後景が建物や風景です。
現代科学によると、ヒトの脳は視界30度に要素が三つ以上あると美しいと感じるそうです。
つまり、『おくゆき』にときめくそうです。
これはヒトが道具を使い始める前の本能の影響。
ヒトは一対一で取っ組み合いしたら他の大型肉食動物にたいてい負けます。だからそれらの動物から逃げて生き残ってきたヒトの遺伝子が現代人に受け継がれています。『おくゆき』とはつまり『逃げ場所がある』というサイン。だからときめくみたいです。
私も初めてこれを聞いた時は「ホンマかいな!」と思いましたが学者さんによるとそうらしいです。ヒトの本能が感じる『美しい』の由来なんてたいていそういうことらしいですよ。びっくりです。
『おくゆき』を作るのに必要な最低限の三つの要素、前景中景後景は若紫さんの垣間見に当てはめると
こういうこと。
『垣間見の技』でまず意識すべきなのは『前景である枠で切り取って中景である垣間見対象物を見ること』です。
これだけでたいてい垣間見の技は成立します。美しいと感じます。30度と後景はあまり意識しなくても成り立つことが多い。まれに後景のインパクトが弱い時がありますが、この時は切り取りかたを工夫してください。
以上、垣間見の技の説明でした。
平安の男女の出会う慣習から始まった『垣間見』は技として確立しますが、その後、二つの文化として発展し現代まで伝わります。
そのうちひとつは『をかしの文化』
をかしの文化
『をかしの文化』は現代日本語では『いいね!の文化』と翻訳したらわかりやすいかと思います。
『をかしの文化』の代表とされるのは
紫式部と同時代のもう一人の天才ものかき『清少納言(せいしょうなごん)』
の
書いた『枕草子』です。
ちなみに『紫式部』の『源氏物語』は『もののあわれの文化』の代表とされますが
今回は長くなりすぎるのでまたの機会に。
今回は清少納言のほう。清少納言はこの世界の『いやなもの』ばかり見てしまいました。
そんな時、
そんな時
清少納言はこの世界の『すてきなもの』ばかりを集めたエッセイ集『枕草子』を書きました。
そして脳内で『悲しみの中和』に成功。
『いいこと』と『いやなこと』の両方が必ずあるこの世界を枠で切り取って『いいもの』のほうばかりみたわけです。
これって『垣間見の技』ですよね。
そしてこの清少納言のやり方は現代の心理療法としても有効。
どうやら自分で自分を治療したんですね。ブラックジャックみたいな清少納言。
『垣間見の技』の
ふたつの現代にいたる到達点のうち
ひとつがこの『をかしの文化』
もうひとつは、
観光立国日本の観光資源、
『額縁庭園』です。
額縁庭園
『額縁庭園』とは、
額縁庭園とは、
伝統的な日本家屋に必ずできる『鴨居と敷居と柱と柱』による枠を、
絵を飾る『額縁』に見立てて前景として利用して、
中景である庭をデザインしたタイプの庭園です。
額縁庭園は後景が素晴らしい場所に作られることが多く額縁庭園での後景を特に『借景』と呼びます。
自分のものではなくお借りしている景色という意味です。
今回ご紹介するスポット『圓通寺』にも『額縁庭園』があります。
ふう、やっとつながりました圓通寺に!
前置きが長かったでしょう、、、。おそらく今回がシリーズ最長です。
よくぞここまでおつきあいいただきました。
でもその甲斐はあると信じています。
おまたせしました。ではまいりましょう!圓通寺庭園へ!
圓通寺庭園
圓通寺は『額縁庭園』とされますが『額縁庭園』という言葉のイメージを超えています。
『垣間見の技』をおもちになった今のお客様ならこの景色でおわかりになるでしょう。
もう下手なガイドの説明なんて不要。
キーワードだけ並べますね。
借景の比叡山までのこの『おくゆき』
『おくゆき』はヒトにとって『ときめき』
『ときめき』を切り取るための無数の柱と木が作る『わく』
そして
『わくわく』の語源はこの『わく』です。←これはうそです!おもしろいかなとおもって、、、。
さあ、アホなガイドはほっといて
お客様の『垣間見の技』をガンガン発動させちゃってください!
圓通寺庭園を設計したのは
第108代 後水尾天皇
徳川家康の発言「天皇は金(きん)で俺たち武士は鉄(てつ)。天下を治めるには両方必要。」
政治や戦(いくさ)、汚れ仕事のリーダーは俺たち武士。でもキラキラした文化方面のリーダーはあなたにまかせました。この両輪でこの国を治めて行きましょう。
という意味に私は取ります。
そんな徳川家康に推されて即位したのが後水尾天皇でした。
圓通寺はもしかしたら
家康にこの国の美をたくされた金みたいな天皇の魂がキラキラさせている場所なのかもしれません。
では、あなたの観光がいいものになりますように。
アクセス
※圓通寺への道中にも垣間見を楽しみたい人はこちらの動画をどうぞ