六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)(S4)

三分ください。

今回ちょっと前置きの説明が長いです。

なんせ究極奥義ですから許してくださーい。

目次

もののあわれの技 基本概念

『技』というワードにときめくガイドが『六道珍皇寺』に行く前に知っておくと観光が少し面白くなる技をご紹介いたします。

技の名は『もののあわれの技』

千年前の日本人の究極奥義のひとつ。代表的な使い手は『紫式部』です。

翻訳します。

『もの』は漠然と『すべてのもの』。英語でいうとanything

『あわれ』は『うっとり』

すべてのものにうっとりという意味です。

人間の脳の中心部の原始的な部分は

この世界をざっくりとふたつにわけます。

『いいもの』と『わるいもの』です。

ふたつあわせると人間にとってこの世界の『すべて』になります。

『すべてのもの』にうっとりするためにはこの『いいもの』と『わるいもの』の両方にうっとりしたらいいわけです。

『いいもの』にうっとりするのは簡単。本能の反応に従えばいい。

『わるいもの』にうっとりするのにはコツが必要です。なんせ本能が嫌がりますからね。

『もののあわれの技』を完全マスターするためには『嫌がる本能』ごとに異なるコツを知り、そのコツを使って『嫌がる本能』を意識部分で説得したり書き換えたりする作業が必要です。

以上です。これが『もののあわれの技』の基本概念。

口でいうのは簡単ですが、嫌がる本能はたくさんありますのでたいへんな作業になります、、、。

もしマスターしたいならひとつひとつやっていくしかないでしょうね。

六道珍皇寺にはこのコツのいくつかがが伝えられています。

今回はひとつだけご紹介

よかったらご一緒しませんか?

六道珍皇寺

ちなみに日本文化はよく『うつろいを愛でる文化』といわれますが、『もののあわれ』の翻訳『すべてのものにうっとり』と同じ意味です。

すべてはうつろうからです

『できるだけ情報量を少なく』をモットーにしている私が混乱を招く危険があるのにわざわざ別名をご紹介したのには意味があります。『うつろいを愛でる』の『愛でる』という言葉に『もののあわれの技』のコツが隠されているからです。

『あいする』と『めでる』は少し違います。

『愛でる』には上から目線のニュアンスが加わります。

そう。紫式部は上から目線の女だったんです!(←怒られるやつ)

紫式部の得意の目線は上から全体を見る目線。全体を見ていいものとわるいものを両方愛でました。『俯瞰の技』とも言われます。源氏物語はこの世界を見下ろし、天皇さえ見下ろし、この世界のすべてを、うつろいを愛でる目線で書かれた小説です。

一方同時代のもうひとりの天才ものかき、清少納言は、枠で切り取ってそれだけを見る目線『垣間見の技』の使い手です。

今回の観光ではこの二つの目線を使います。ご準備ください。

さあ、中に入りましょう。

もののあわれの技 本能が嫌う死を愛でる の巻

大半のヒトの本能は老いや死を嫌います。学者さんがいうには死を恐れる遺伝子の持ち主が生き残って子孫を残してきたので、これは必然だそうです。

想像するに、

死を恐れない遺伝子の持ち主は、負けが見えている戦でも、逃げないで勇敢に戦って散ったりするからでしょうか。

そんな本能が嫌うものまでを愛で、すべてのものにうっとりしてしまうのが紫式部の『もののあわれの技』

ここ六道珍皇寺は本能が最も嫌がる『死』を愛でるコツを伝えるお寺です。

それは『老いの坂図』というカタチで伝わっています。

老いの坂図

老いの坂図は日本全国のお寺に時々あります。存在は知っていました。

なんのためのものなのか

ガイドのくせに私も結構最近まで知りませんでした

「これなんですか」と聞かれるお客様に私は『おぼろの技』を使い、先輩から教わった便利な言葉で「仏教の教えを絵で伝えるものです。」とぼんやりさせていました。それ以上聞かれると、ガイドのマニュアル「次回までに調べておきます」で逃げていました。ガイドも得意分野不得意分野ありますし、知識にも限界がありなんでもかんでも知ってるわけじゃないのでこういうテクニックも特に新人のうちはたいせつだったりします。お客様にもある程度わかっていただき、特に新人は多めに見て許して育ててあげてほしいのですが、私にとっては得意分野である『もののあわれの技』のコツのひとつ、『死を愛でる』につながるものだったので知らなかったことを恥ずかしく思ってます。そうなんです。老いの坂図の正体は『もののあわれの技』のコツの伝授素材だったのです。

リベンジさせてください。

六道珍皇寺には古いものもあるのですが、現代のアーティスト『だるま商店』さんが描いた老いの坂図が奉納されています。

だるま商店さんの老ノ坂図は現代人の感覚に入って来やすいです。なので今回はだるま商店さんの絵をモチーフにさせていただきました。だるま商店さんは「ぼくらの作品の写真は自由にとってくれていい」と言ってくださっているようなおおらかな二人組なんですが、さすがにホームページでプロのアート作品をそのまま使うのはアカンと思い、私がデフォルメして描いた絵でご紹介させていただきます。本物は私の絵よりもっと色鮮やかで細かく味わい深いものですのでご機会があれば一度ご覧になってはいかがと思います。

※注意事項

だるま商店さんの老いの坂図の正式名は『極彩色篁卿六道遊行図』。

六道珍皇寺さんの境内には普段でも朝九時から夕方四時までは入れますが、〚極彩色篁卿六道遊行図』は特別公開の時期にしか見られません。特別公開の時期は六道珍皇寺さんのホームページでご確認ください。あと、特別公開の時期でなくても五人以上で予約すれば見られることがあるそうです。

老いの坂図とはだいたいこんなレイアウトです。

人の一生の誕生から死までを左回りに半円状で描きます。

今見たのは全体図ですが、垣間見の技を使い、枠で切り取って場面ごとに見ていきましょう。

老ノ坂図は、勝手な想像をしながら見ると楽しいです。

主人公誕生

お母さんに抱かれて泣いてるんでしょうか。

お父さんがそれを見つめます。あやしてるのかな。

お父さんの服装からして大正ロマンの時代?

大正時代は着物に西洋の帽子とメガネを合わせるのが流行りました。

主人公すくすく成長

五歳くらいかな。男の子を追っかけてます。

男の子は幼馴染じみかな。それともお兄ちゃん?

さらに成長

十歳くらいかな

笑ってる

十五歳くらいかな

だとしたら

子供から大人へみたいなお年頃

めっちゃ笑ってる。反抗期なしの子か?

おおこれは間違いなく二十歳

はいからさんファッションで成人式じゃないですか

だとしたら時代はやっぱり大正

今でも卒業式にはいからさんコーディネートは映えますよね

結婚

お相手はさっきの幼馴染みかな

赤ちゃん授かり!

だるま商店さんの老いの坂図はこのシーンが坂の頂上です。

幸せピークだと見ます。

ピークだと思ったら

いきなり旦那さん亡くなったみたい

戦争にとられたか

子供ふたりを残して

ママひとりで子育て大奮闘

たいへんなこともありますが、お母さんの苦労を見て育った子供たちは優しい子に育ちます

苦労はありますがすくすく成長する三人の子に囲まれてしあわせな瞬間もあるのでした

ん!

子供ひとり増えてる!

あ~多分お腹にいたのかな

小さかった末っ子も立派に成長。

当然主人公も年を取って初老に差し掛かりますが

お母さんが苦労して育ててくれたことを忘れない末っ子は親孝行。

その末っ子にも孫誕生

孫もおばあちゃん大好きです。

すべてはうつろいます

主人公も

娘と孫娘とひい孫娘に見守られるなか

お迎えが来たようです

おわかれです

あの世へ旅立ち

最後のシーン

だるま商店さんはかなりご陽気に描いてくれてるんですが

それでも

このシーンだけを切り取って垣間見していると、悲しくてさみしいです。

ヒトの本能です

本能が嫌うものだけを長時間垣間見で見続けることは垣間見の技の使い手の間では禁止です

人の脳の無意識部分がこの世界には悲しいことしかないように間違って信じてしまうからです

無意識部分の心の支配力は強いですから危険です

そこで俯瞰の技の出番です

うつろい全体を見ましょう

上から目線のご準備はよろしいですか?

では

もののあわれの技発動

もののあわれの技発動

最後のシーンて描かれた『死』

『死』はけして単独では存在しません

必ず『生』が先にあり『死』へとうつろいます

生と死はセット

ひと続き

『さみしい』もけして単独では存在しません。

必ず『楽しい』が先にありさみしいにうつろいます

楽しいとさみしいはセット

ひと続き

でも

順番が必ず本能が嫌がるもののほうが最後にくること

今直面してるもののサイズ感は過去の記憶のものよりも大きく感じること

やられそうになります

北斗の拳のサウザーも悲しみを垣間見してしまい、名台詞、「こんなに苦しいのなら愛などいらぬ」と言って悲しみに一度はやられます

ケンシロウとの死闘の末にもののあわれの技を発動する結果となり、過去に存在した愛にすくわれます。

これがコツ

悲しいやさみしいは必ず訪れます

でもたしかに生はあった

でもたしかに楽しいはあった

忘れないこと

そして、紫式部のようにこの世界を俯瞰で見下ろし

「さみしいな。もう終わりか。でも・・・楽しかったよね。うん!たしかにさみしいはある。けどトータル楽しかったよね」

生がうつろった死を愛でるコツです。

おっと

このまま終わると紫式部ともののあわれの技の勝ちみたいになるので

もうひとくだり

政治的ミッションでもあるのですが紫式部はことあるごとに清少納言をけなしました

ふたりの作品をくらべて「清少納言の枕草子は現実的でない。絵空事」だと。

これを初めて聞いたとき私は

え、小説なんだから源氏物語のほうが絵空事じゃないの?枕草子のほうが現実に起こったことを書いたエッセイなんだから現実的じゃん。何言ってんの紫式部は

と思いましたが

もののあわれの技と垣間見の技を理解したら意味がわかりました

いいことと悪いことが必ず起こるのが現実

なのに

枕草子ではいいことしか書いてない

そういう意味で

枕草子は現実的でない

と言ったんですね

確かに源氏物語は小説だけど、いいことと悪いことを両方描いています

そういう意味では

源氏物語のほうが現実的

理屈は通っています

紫式部もおそらくホントはわかっていたとは思うのですが

垣間見の技も究極奥義レベルです

悲しみを中和できます

清少納言は悲しみに支配されそうになった時、垣間見の技ひとつで乗り越えました。

その方法は

いいものだけの連続垣間見です。

枕草子の正体は紫式部のいうとおりいいものだけの連続垣間見エッセイ集です。悪いことは書いてません。

でも清少納言の脳内には悲しみがあふれていました。いいことだけの連続垣間見をすることで脳内で悲しみの中和をしたんです

一方の源氏物語は小説内で悲しみを中和した

中和をした場所が違うだけで結果は同じ中和なのかもしれません

現実的に表現された小説内で中和を行う紫式部の文章力はたしかにすごいですが、清少納言のように脳内で中和を行うメリットもあります

『さみしい』がやってくる順番とサイズ感が問題だと言いましたが

脳内なら、いい記憶の連続垣間見を繰り返すことで、さみしい記憶を完全に消すことは難しいですが脳内で順番とサイズ感をゆがめることができます。さらに死後にいいことがある可能性のストーリーを垣間見して足すことで悲しみを中和できます。多分これはストーリーの整合性がないと成り立たなくなる小説内では不可能じゃないですかね。

これをふまえて

垣間見の技 発動

垣間見の技発動

脳内でサイズ感と順番をゆがめ

悲しいを小さく、楽しいを大きくしました。

そしてあの世で主人公と旦那がもう一度会えるストーリーを垣間見して足します。再会した二人を、五歳、十歳、十五歳、二十歳の主人公が優しく見つめて祝福。

どうですか

垣間見の技でも中和できましたか?

今回の紫式部と清少納言の勝負はひきわけということで。

てゆーか、私の中ではずっとひきわけです。ふたりともまちがいなくとんでもない天才ですから。私ごときが優劣つけられません、、、。

ガイドの立場からいうと千年前にこの二人がいてくれたおかげで千年後の京都観光というエンターテイメントがいっそう面白くなりました。感謝。

朝ドラ 大河 と 老いの坂図

おまけ

子供のころ、朝ドラや大河の最後のほうが大嫌いでした。主人公が亡くなるまで描きますからね。本能の完全な支配下の子供の私は本能の指示どおりに反応していました。「なんで主人公が亡くなるまで描くんだろう。いいとこで最終回にすればいいのに」って思ってました。今考えると朝ドラや大河は老いの坂図だったと思います。もののあわれの技習得のための材料として作り手も意識していると思います。

ガイドの学校で「朝ドラや大河は必ず見るように。観光客はみんな見てますから」と教えられます。疑ってましたがホントでした。百パーセントではないですが見てる人ホント多いです。で、ガイドのはしくれの私も義務で見る習慣ができて見続けてます。最近の朝ドラや大河は視聴率稼ぎのためか向こうでもののあわれの技の発動までやってくれます。『どうする家康』や『らんまん』なんて最終回で思い出のシーンと死のシーンをうまいこと織り交ぜて『さみしい』をうまいこと中和してくれてました。面白かった。昔からこれやってくれてたらよかったのに。一方、これも視聴率稼ぎのためか、子供の私の願いどおり、主人公が死ぬまで描かれないパターンも出てきました。勝手ですが、「これは反則!大河や朝ドラは死ぬまで描かないと!」と思ってしまいました。私もうつろってます。

もののあわれの技を知っておくと観光だけでなくドラマや映画も面白くしてくれますよ。

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